ホーム > アカデミア・プラトニカについて
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…ルネサンス時代、フィレンツェの著明なパトロン、ロレンツォ・ディ・メヂィチは、学者や文化人のための集い「アカデミア・プラトニカ」を主宰しました。
そのころは、ちょうどメディチ銀行の経営難の時代にあって、豊富な資金提供というイメージから遠く、収集品や写本のコレクションを研究用に公開し、芸術論議の場を準備し、若い芸術家たちを新た活躍の舞台へと推しだすという援助の方法でした。
彼らは、この世は天上の真実が反映した姿であるというプラトンの思想にならって、移ろいやすい現世を仮の姿と考え、愛の力によって不滅の霊魂に触れることをめざしたといわれています…。
「アカデミア・プラトニカ」という歴史上有名な名前を再び登場させることは、一昔前なら時代錯誤とみえたかもしれなせん。
しかし、経済も芸術もバブルの後遺症に苦しみながら、新時代の幕開けを迎える日本にあっては、ちょうど500年前に、先代の遺産を有効に利用して、見事に芸術文化を花開かせたパトロンの姿は人ごとには映りません。
日本を焦土から復興させた先達の恩恵によって、戦後日本が復興したのは明らかです。
次の世代への橋渡しの役目が、私たちの順番になったときに、ちょうどバブルがはじけたのは、やがて消える物質的な遺産よりも、精神の栄養をこそ伝えよという天恵に感じられます。
私たちはまた、人と人との精神のつながりこそが、財産であると知った世代です。
本も絵画も、文化そのものがそのつながりの媒介といえるでしょう。その点では、芸術は精神の影であるというプラトン以来の伝統につらなることもできます。
さらに、20世紀の私たちは、精神の宿る肉体としての絵画や言葉の豊かな表情も知っています。
精神と肉体、主観と客観など、二つでありながら一つであるものにこそ、芸術の豊かさの秘密があるのでしょう。
このような芸術体験の様相は一つの型に収まらない自由で、躍動的なものです。
それは、中央から地方へというこれまでの文化流入の型をも超えて、地理的な位置ではなく、新たな発信が可能な場所こそが新たな中央である、というインターネット時代にふさわしい姿となるでしょう。
ここに集う人々と、この画廊とも、美術館とも異なる、第三の場所から、新たな時代の芸術文化の発信が実現されることを期待しています。
G1
三河赤土・小ひび仕上げによる壁画、松の木の床の企画展示室(56.8m2)です。落ち着いた和風の空間で、昭和30年代の玩具などの企画展示を行います。
G2
淡路浅葱土・小ひび仕上げによる壁画、松の木の床のサロン(18.3m2)です。主に工芸品を展示いたします。
G3
フレックスコート・鏝仕上げによる壁画、コンクリート仕上げの床の企画・貸展示室(39.8m2)です。作品資料を当ギャラリーの運営委員会で検討のうえ、現代美術作品の展覧会にお貸しいたします。会期は2週間(12日)を単位とします。リーフレット(キュレーターや評論家によるエッセイ入り)を作成いたします。詳細はお問い合わせください。